グラスミア・ジンジャーブレッド Grasmere gingerbread
グラスミアのジンジャーブレッド
170年ほど昔のこと イギリス 湖水地方のグラスミア村で、それまで誰も食べたことにない不思議な食感と味わいの、魅力的なジンジャーブレッドが生まれました。
セーラ・ネルソンが焼くそれは、板のような形状で、ケーキほど柔くなく、ビスケットほど硬くない。口に入れるとホロリと崩れる絶妙な食感で、生姜の風味がしっかり効いています。そのジンジャーブレッドは評判を呼び、ほどなくして販売されるようになりました。今に続く『グラスミア・ジンジャーブレッド』の誕生です。
湖水地方
湖水地方 Lake Districtは名前の由来になった湖に加え、山あり、川あり、滝もあり!数多くの文学の舞台にもなり、ロマン派の詩人ウイリアム・ワーズワースは人生の大半をこの地で過ごし、自然讃美の詩を書きました。そして絵本『ピーター・ラビット』で、うさぎのピーターやあひるのジマイマが暮らすのもこの地です。
(左)バス停「ライダルチャーチRydal Church 」から下ると見えるロゼイ川 River Rothay(右)ライダル湖 Rydal Water
セーラの生い立ち
1815年セーラ・ケンプ(旧姓)はウィンダミア湖畔の村ボウネスで、私生児として生まれました。母と7歳年上の姉アンとの3人暮らし… 母は裕福な家庭で厨房仕事をして生計を立てていました。幼いセーラは小学校に通うことなく、家事を手伝い、近隣の農家で雑用を手伝うなど働きずくめで育ち、上流階級の私邸で女中としての仕事を得ると、先輩女中たちから仕事ぶりや作法を学び、料理人として雇われるまでになります。
結婚
1844年 ウィルフレッド・ネルソンと結婚 まもなく2人は商業で栄えるランカスターの町に移り住み、夫ウィルフレッドは紅茶の販売と八百屋業を始めました。
1846年長男ジョンが生まれ、続いて、マリー・アン、ダイナと2人の女の子にも恵まれます。ウィルフレッドの営む八百屋も繁盛し、ネルソン一家は安定と幸せを手に入れたかに思われました。しかしそれもつかの間…1852年長男ジョンがコレラにたおれ、数週間にわたるセーラの看病のかいなく、帰らぬ人となってしまったのです。
下水道が完備していなかったこの時代 衛生状態の悪さから人口過密の都市ではコレラによって多くの人が命を落としていました。残された2人の娘達にもコレラの猛威が及ぶことを恐れ、ネルソン一家はグラスミアへの転居を決めます。
グラスミアへの移住
グラスミアは澄んだ空気となだらかな丘、湖と清らかな水の流れに恵まれた美しい村で、イギリスを代表するロマン派の詩人ワーズワースが、“the loveliest spot that man hath ever found”「人類が見つけた最も美しい場所」と賛美して暮らした地でもあります。そのワーズワースが世を去ったのは、一家が移り住む2年前のことでした。
ウィルフレッドは聖オズワルド教会の墓地での墓掘りの仕事と、建設作業員として働き、セーラは家政婦をかけもちして新生活をスタートさせました。2人の娘達は地元の学校に馴染み、質素ながら、健やかで幸せな暮らしを手にいれることができたのです。
(左)St.Oswald's 聖オズワルド教会 (右)教会の脇を流れる清流
ほどなくセーラは公爵夫人マリー・ファーカーが暮らす別荘に料理人として迎えられ、腕をふるうようになります。
この頃 一家はかつて村の学舎として使われていたチャーチ・コテージを住まいとするようになりました。
1630年に村人の寄付金で建てられた平屋建てのチャーチ・コテージは、長く小学校として使われていましたが、近くにより大きな校舎が建設されて空き家になると、生活困窮家庭に借家として提供され、セーラ一家の住まいになったのです。
チャーチ・コテージはかつてワーズワースが教壇に立ち、彼の息子ジョンも学んだ建物で、聖オズワルド教会に隣接していましたから、聖堂墓地で働くウィルフレッドには、好都合の立地でもありました。
(左)チャーチ・コテージ
(右)チャーチ・コテージ脇の石造りのゲートをくぐると、墓地が見えてきます。
グラスミア ・ジンジャーブレッドの誕生
1854年の冬のこと セーラは新たなジンジャーブレッドを考案し、『グラスミア・ジンジャーブレッド 』と名付けると、蝋引き紙に包んでチャーチ・コテージ前の切り株の上に台をのせて売り始めました。
その頃 イギリスは産業革命が進み、鉄道網が全国に広がって、蒸気機関車が大勢の人を一度に輸送できるようになると、湖水地方の自然を讃美する詩を謳ったワーズワースに注目が集まったことも重なって、湖水地方は都市部から人々が押し寄せる人気の観光スポットとなっていきます。
ワーズワースは1850年 80歳で亡なりますが、晩年彼は聖オズワルド聖堂墓地に自らと家族の墓を用意させていました。旅行者達がワーズワースの眠る墓地を訪れると、そこにはセーラのジンジャーブレッドの香ばしい香りがたちこめて、墓参の旅行者は売り場に立ち寄り、まずは自ら1枚ほおばって、さらにお土産にと買い求めていくのでした。
聖オズワルト教会の墓地には、ワーズワース(中央)と家族が眠っています。
セーラ グラスミアジンジャーブレッドの製造販売に専念
セーラはデール・ロッジでの仕事を辞めて、ジンジャーブレッドの製造販売に専念する決心をします。売り上げは順調でしたが、1869年に次女のダイナが18歳で急逝し、翌年には結婚したばかりの長女マリー・アンが22歳の若さで亡くなってしまいます…2人とも結核を患っての早逝でした。
先に幼い長男をコレラで亡くし、さらに2人の愛娘にも先立たれた夫婦の悲しみは深く、夫ウィルフレッドはお酒で悲しみを紛らわすうちに体調を崩して十分に仕事ができなくなり、生活が肩にかかったセーラは自ら生み出したジンジャーブレッドの製造販売にいっそう打ち込みます。
そんな中 セーラは村人とりわけ子供達との交流を楽しみにして、アルファベット文字を型に抜いたジンジャーブレッドを使って読み書きを教えました。
1880年夫ウィルフレッドが75歳で亡くなると、家族で過ごしたチャーチコテージを改装して、『Sarah Nelson’s Grasmere Gingerbread Shop』として開店します。
『グラスミア・ジンジャーブレッド 』の誕生から30年近くが経過し、晩年のセーラはグラスミアの村に欠かせない人物になって、いつも白いエプロンにショールを羽織ってチャーチ・コテージ前に置かれた椅子に腰掛けていたといいます。
(左)(右)晩年のセーラ 『Sarah Nelson's Grsmere Gingerbread』HPより
20世紀が目前に迫る頃80歳を超え、公式名称『グラスミア村チャーチ・コテージ菓子製造業者』として、今日に続く『グラスミア・ジンジャーブレッド・ショップ』を営む経営者としての地位を確立したセーラは、手書きのレシピを地元アンブルサイドの銀行の金庫に保管しました。
時は1901年 ヴィクトリア女王の崩御とともにエドワード王が即位
新たな時代の幕開けを見届けて1904年セーラは88歳で息を引き取ったのです。
セーラの葬儀は彼女の死を悼む人たちでいっぱいになり、その遺体は彼女が暮らしたチャーチ・コテージからわずか数ヤードほどの、聖オズワルド教会の聖堂墓地に葬られました。
(左)聖オズワルト教会の墓地 (右)『グラスミア・ジンジャーブレッド・ショップ』のすぐ近くにあるセーラの墓碑
170年作り継がれるセーラのレシピ
セーラは姉アンの孫娘に当たるアグネス・ジャーマンとその妹の2人に店を委託して生涯をとじました。2人の姉妹はセーラが亡くなる前の数か月間 彼女の世話をしてくれていたのです。
その後アグネスは事業を売却しますが、アグネスの使い走りをしていたウィリアム・ウイルソンの子供夫婦が事業に加わり、現オーナーのジョアンさんはウィルソン家の3代目
世界各地から観光客が訪れ、行列ができる人気店になった今でも地元銀行の金庫に保管されているレシピを知っているのは1人だけ! セーラのジンジャーブレッドは当時と同じ場所、同じ製法で作り続けられています。
グラスミアジンジャーブレッドにさらにスペシャル感をプラスしている築400年になろうという愛らしいショップは、19世紀にタイムスリップしたかのようなコスチュームの販売スタッフが迎えてくれます。
(左)ショップ (右)売り場
キッチン潜入
お店の裏がキッチンになっていて、セーラのボードとギンガムチェックのカーテンのすぐ裏でジンジャーブレッドの切り分け作業が進んでいます!
(左)(右)ギンガムチェックのカーテンの後ろ
セーラ・ネルソンの店『Sarah Nelson's Grasmere Gingerbread』
住所:住所: Church Cottage, Grasmere
LA22 9SW
Tel:0153-935-428
URL:https://www.grasmeregingerbread.co.uk/