Printen プリンテン
プリンテンはドイツの西端にある街アーヘンAachenで15世紀から作り継がれるジンジャーブレッドで、「アーヘンといえば、カール大帝の大聖堂とプリンテン!」といわれるほど街を代表する存在です。
11月末 市庁舎前に2階まで届くほどの『プリンテン坊や』が現れ、クリスマスに向けたカウントダウンが始まると、中世から続く細い路地のあちこちにあるプリン店専門店のショーウィンドウは、高く積まれたプリンテンがライトを浴びてひときわ際立ち、店内から漂うスパイシーで甘い香りも相まって、そこはおとぎの世界のよう。
道ゆく人の歩みもゆっくりと楽しげで、寒さが厳しく、夕闇が早い冬の日々に華やぎを添えています。
プリンテンの基本材料は小麦粉にスパイス、甜菜糖の粉末やシロップで、そこにナッツやドライフルーツが加えられるレシピもあります。全ての材料を混ぜ合わせた生地を平らに伸ばしたら、長方形に切りそろえて焼き上げるのがノーマルスタイルで、クリスマスの時期はもみの木やサンタクロース、星などの形も登場し、チョコレートやシュガーコーティングを施し、アイシングやナッツなどで装飾したものも多く見られます。
プリンテンが老舗専門店で製造販売されるのは、日本の和菓子に通じますが、先祖伝来 自慢のレシピをもとに作られるそれは、シンプルな形ながら、噛むほどに味わい深く、ニュルンベルクの『レープクーヘン』とならんで世界中にファンを持ち、クリスマス近くなると世界各地に向けて輸出される国際派
かつてプリンテンは他地域のジンジャーブレッド同様 麦粉と蜂蜜、スパイスをこね合わせた生地をモチーフが彫り込まれた木型に押し入れて、凹凸のレリーフを浮びあがらせて焼かれていました。『Printen プリ(レ)ンテン』はこうした手法を反映する「印刷する」「焼き付ける」などの意味をもつフラマン語の「Prent」を由来とした呼び名です。
蜂蜜で練った生地は彫りを施した木型に押し入れてから焼くと、かたく締まり、繊細な凹凸レリーフがくっきりと浮かびます。職人たちが焼く美しいプリンテンは、甘くスパイシーな芳香を漂わせ、アーヘン大聖堂への巡礼者のお土産に買い求められ、装飾品や魔除け、お守り、戦地への携帯滋養食、さらには贈答や愛の告白アイテムとしても活躍したのです。
そんなプリンテンに転機が訪れたのは19世紀初頭 ヨーロッパで生産される甜菜(ビートまたは 砂糖だいこん)から砂糖を分離する技術が開発されて工場生産されるようになると、職人達は甜菜を使ったレシピの開発の励み、大きく広げた生地を型抜きしてトレイに並べて焼くスタイルが考案されます。
それは大量生産の期待にも応えられたため、主流になって、プリンテンはレリーフを失い扁平でシンプルな形に。価格も安価になって、庶民も買い求めることができるお菓子になりました。それに伴い中世以来使い込まれた木型は役目を終え、お店の壁を飾るインテリアになって昔を伝えています。
フランツ通り91番地で1912 年以来4世代に渡って伝統のプリンテンを作り続ける家族経営の老舗『Printenbäckerei Klein Die Printenbäcker 』で取材させていただいたこだわりの材料とレシピをご紹介しましょう。
『プリンテン 』生地の材料は時計回りに…
Zucker-sirup(ツッカー-ズィールップ)= 甜菜糖シロップ
Zimt (ツィムト) = シナモン
Farin-zucker(ファリン-ツッカー)= 甜菜(サトウダイコン)から作られる粗製糖
Nelken(ネルケ) = クローブ
Koriander (コリアンダー)=コリアンダー
Anis(アニス)= アニス
Kandie - sucker (カンディス-ツッカー)=糖液を褐色になるまで加熱して作る キャラメル風味の氷砂糖
Weizenmehl(ヴァイツェンメール)= 小麦粉
作り方は
上記の材料に膨張剤としてNatron(ナトロン)= 重曹を加え、よく混ぜ合わせた生地を3日間おいて熟成させた後、 薄く伸ばし、形抜きして、焼き上げます。
*「3種類の甜菜糖(シロップ、粉末、顆粒)を使うのは、風味を豊かにするための工夫」とのこと 種類豊富で味も香りも風味も多彩なドイツの砂糖を使いこなすのがプロのこだわり。
アーヘン watching
フランクフルト中央駅からICEを利用して西に向かって走ること2時間ほど ドイツの最西に位置し、ベルギー、オランダとの国境に隣接するアーヘンAachenは、ゲルマン民族の一派フランク族が移動してきて定住し、温泉が湧き出るため、水を意味する「Ahhaアーハ」にちなんで名付けた街
カール大帝とアーヘン
西暦800年 初めて西ヨーロッパを統一したフランク王国のカール大帝(768-814)はこの地に都をおきました。カール大帝はヨーロッパをはじめて統一した偉大な王として、トランプのハートに描かれているお方。生涯の大半を軍事遠征についやしたカール大帝ですが、この街がお気に入りで、しばしば湯治の為に滞在し、晩年多くの時間をこの地で過ごしています。
キリスト教を柱にする国造りに邁進したカール大帝は786年 宮廷教会の建設を開始し 死後そこに埋葬されます。その後教会は600年にわたって30人以上の神聖ローマ皇帝が戴冠式を行い、歴史の中心舞台であり続け、多くの巡礼者が訪れたこともあり、2度の増築を経てアーヘン大聖堂として現在の姿になっています。
最も古い八角形の礼拝堂は連なるアーチで構成され、正面はドームまで届くステンドグラス その両脇には黄金のモザイクで描かれた壁画が一面に広がり、ここがドイツであることを忘れてしまいそうなほどエキゾチック 1978年世界遺産に初めて認定された12物件の1つ なるほど…
大聖堂西側に位置する宝物館では、入舘すると直ぐ黄金に輝くカール大帝の胸像(1349年作)に迎えられて目を奪われ、比類の無い美術工芸品たちに息をのみ、酔いしれることができます。
宝石がちりばれられた黄金のロータルの十字架(14世紀) 大帝の右手の骨を納めた聖遺物入れ… 研磨などないまま使われているかの大きな宝石たちに時代のゆとりを感じながら、カール大帝あってのアーヘンの街 アーヘンの街あってのプリンテン…600年の時に思いを馳せました。