ピエルニキ Pierniki 

『ピエルニキ』はポーランド北部の町トルンで700年作り継がれるジンジャーブレッド

そのレシピは、ディナン(現ベルギーにある町)で作られていた『クックドディナン 』がドイツのアーヘンに伝わり、東に伝播して、14世紀 ドイツからの入植者とともにポーランドにやって来たと伝わります。

トルンには肥沃な土壌から獲れる最高品質のライ麦や小麦と、ヴィスワ川の対岸に広がる森や近隣の村で採れる良質な蜂蜜があり、スパイス類は北ドイツのハンザ商人によって運び込まれて、ジンジャーブレッド作りには好都合でした。

大航海時代になると、大量のスパイスが海路を帆船で運ばれ、グダニスクの港からヴィスワ川を遡ってもたらされると、輸送時間が短縮されて、供給されるピエルニキの種類や量も増えていったのです。

こうして、「トルンといえばコペルニクスと、Pierniki Toruńskie:ピエルニキ」と言われるほど町を代表する存在となった『ピエルニキ(Pierniki)』 その呼称は「胡椒」を表すポーランド語『pieprz ピエナ』に由来します。

現在レンガ作りの建物を石畳の道がつなぐ旧市街にはピエルニキの専門店が数多く点在して、甘い香りに誘われて店内に足を踏み入れると、昔ながらの麦粉と蜂蜜、スパイスから作られるふっくらプレーンタイプ、そのプレーンタイプにバラやプルーンのジャムを挟んだもの、それぞれがアイシングやチュコレートでコーティングされているもの。さらにプレゼントにも使いたい美しい絵画のようなシュガーアートが施されているもの。そして中世から続く彫りを施した木型に生地を押して作る凹凸レリーフが美しいクラシックタイプもと、バラエティー豊かなピエルニキずくし!

こうして時の流れとともに多彩になり、重曹やベーキングパウダーが使われるようになった今でも、焼く前に生地を寝かせることが美味しいピエルニキを作る秘訣であることは変わりません。その時間が長ければ長いほど格が上がるといわれており、…その期間は数日から1年に及ぶことも。これは、保存期間中に蜂蜜に含まれている酵母が活性化して発酵が進み、独特の風味や香りが生まれるから。

町の歴史

町の起源は13世紀半ばにさかのぼり、ドイツ騎士団が植民し、キリスト教化の拠点として城を築いたことに始まります。

1367年にはハンザ同盟に加盟してヨーロッパの中でも重要な商業都市に。…そうして町が豊かになり、住民が力をつけて自治意識も強くなると、悪政を行い、各地で略奪を繰り返すドイツ騎士団との緊張が高まり、1454年市民たちは蜂起し、騎士団を町から追放!

16世紀 ギルドが結成されると、職人たちはそれぞれ独自のレシピをもち、それは厳重に守られ、口伝で受け継がれたのです。

ピエルニキは国内だけではなく国外でも人気を得て、17~18世紀にかけてヨーロッパ全土に名を馳せていたニュルンベルクのレープクーヘンと並び称されるほどになります。

しかし、17世紀半ば ロシア軍、スウェーデン軍などによるポーランド侵攻に始まり、戦争が続いて国は衰退の一歩をたどり、1795年 ポーランドは国家が消滅し、帝政ロシアの支配下に置かれます。

フランス革命の影響を受け、1830年11月 ワルシャワで反乱が起きましたが、革命は失敗に終り、その後もロシアによるポーランドの抑圧はしばらく続き、欧州への復帰は第2次世界大戦後、1999年のNATO加盟、2004年のEU加盟を経てようやく実現しています。

こうした激動の時代背景から、18世紀末から19世紀になると、ピエルニキの生産需要とも低迷しましたが、第二次対戦後資本主義が台頭すると、ピエルニキは大企業の工場で大量生産されるようになり、次第に個性豊かな専門店も戻って今に至るのです。

Catherine カタジンカ(ポーランド語:Katarzynka)

ピエルニキの型で最も人気があるのは円を3つ2列に並べた雲を思わせる形のThorner Kathrinchen:トルン風カトリンヒェン Katarzynka カタジンカ』です。

 17世紀トルン郊外にある聖カタリナ修道院(通称「Kathrinchen」)で、11月25日 聖カタリナの日のお祝いに焼かれたピエルニキが美味しいと評判になり、輸出されると『Catherineキャサリン』(カタリナの英語読み)の愛称でも呼ばれるように。

カタジンカやハート型のプレーンなものやチョコレートコーティングされたものなどのピエルニキが 近年クリスマス近くなるとKALDIはじめ輸入食料品店の棚に並んでいます。今年もきっと…探してみてくださいね。